1985年
1985年
行程
京都(22:06) - 「山陰」- 出雲市(9:48 / 14:35) - 「まつかぜ4」 - 新大阪(21:13)
3月14日のダイヤ改正で山陰本線から10系客車とキハ80系「まつかぜ」が廃止になるので、その姿をとどめるべく山陰まで行きました。
京都で入線を待っていると、隣のホームには583系「雷鳥」が。こちらも3月に定期運用から離脱します。
「山陰」に乗車します。
10系寝台車は通路に折りたたみ椅子はありません。また、窓は開閉可能です。
寝台は3段式で、天井には後付けのエアコンが大きくはみ出ています。
寝台幅は20系と同じく52cmですが、中段寝台を支えるストッパーが付いています。
読書灯は白熱灯で、その脇に小物入れの網袋があったのですが、このころはすでに撤去されています。
車端の洗面台は2か所で、水栓が押しボタン式です。
このときは一方が壊れており、朝はとても混雑していました。
外観は出雲市に到着後カメラに収めました。
座席車は、以前は旧型客車でしたが、この頃は12系にグレードアップされており、車掌室もそちらにありました。
帰路につくまでの間、出雲大社まで行って時間をつぶします。
大社線の車内は、修学旅行らしい小学生であふれてました。
帰りは一畑電車です。
平田市駅構内には興味をそそられる旧型車両にあふれており、後年映画にも出たデハニ50が、現役で活躍していました。
出雲市駅に戻り、しばらくすると「まつかぜ」が博多から370kmの旅を終え入線してきました。
隣にはまだ真新しい381系が止まっています。
10系寝台とともに目的の一つである本州DC特急最後の食堂車です。私は出雲そばを堪能しました。
ダイヤ改正をもって営業終了する旨をアナウンスする女性従業員の嗚咽する声が印象的でした。
車内は181系DCと同じロマンスシートですが、背面にモケットが貼られていません。
※車内音は終点近くです。
新大阪でミッションを終え、「銀河」で帰京します。
この当時はまだ20系でした。
※写真の人は関係ありません