1977年
1977年
行程
東京(19:25)- 「瀬戸」- 宇野(6:00 / 6:15) - 高松(7:15 / 7:25)-「しおかぜ1号」- 今治(9:26)
今は285系で運行されている「瀬戸」は、1977年当時は20系客車でした。
編成は電源車を入れて堂々の15両(うちA寝台1,8号車、食堂車5号車)です。
丸妻2枚窓の最後部が、優雅を醸し出しています。
※車内音はモノラルです
最後部は展望室になっており、貫通扉のある14系に比べるとたいへん広々としています。
窓下には通路に設置されているものと同じような補助椅子が1つありました。
11時間半の旅を終え宇野に到着です。当時はここで宇高連絡船に乗り換えていました。
乗り換え階段はホーム前方だったのでかなり歩いたような気がします。
宇高連絡船はグリーン席と普通席に分かれており、椅子席は特急の回転シートと同じだったと思います。
また、デッキ最後部にはうどんのカウンターがありました(早朝なので営業休止でした)
高松での乗り換え時間が短かったため、車両の写真をほとんど撮ることができませんでした。
やっと下車駅の今治で外観をカメラに収めることができましたが、ホームいっぱいに停まるので先頭部サイドしか撮れませんでした。
連絡船を降りて「しおかぜ1号」に乗車です。
回転シートですが、掛け心地は183系ECの簡易リクライニングシートに比べても悪くないです。
車内はほぼ満席で、上・中段利用者の中には補助椅子に夜遅くまで腰掛けている人もいました。
洗面所は大阪方に向かって右側に3つ並んでします。トイレは反対側に和式が2か所あります。
今治港です。
当時は駅よりも港の方が交通の中心となっており、大小の客船、フェリー、水中翼船などがひっきりなしに発着していました。
この2年後に始まった西瀬戸自動車道の架橋がふえていくにつれ、これらの船は徐々に姿を消していくことになります。